忠犬園児にあの備忘録

楽することに全力になりましょう

僕が社畜生活で学んだ人間の成長過程

これからここに書くことは多分どんな物事にも言えることなんじゃないかなと思う。

根拠はある。僕は5年半というとある飲食チェーンのブラックなバイト生活を過ごし、エンジニアとして会社に入社して研修を終えたのちに配属された現場で初月から230時間という他と比べると大変厳しい(らしい)所業をここまで成し遂げてきているのです。全く違う二つの業種でいろいろやって共通したことなので、どんな仕事にも言えるんじゃないかなと思う。他にもいろいろやってきたけど割愛。

今回何を伝えたいかというと、今の自分の状況はどこにあって、自分は成長過程のどこにいるかを自覚すれば、できる人は、もっとやらなきゃと気負いすぎなくなるし、自分はできない、ダメなやつだと自分を責めてしまっている人も捻くれていない限りは、何をすれば良いのかを客観的にみて、少し前向きになる手助けができると思う。

今回は、一つの物事に携わる人間の成長過程について解いていこうかなと。

それじゃあ本題に入って行こう。

 

ざっくりいえば人間の素の成長過程と変わらない。

生まれて、幼稚園や保育園で遊んで、義務教育を経て、それぞれの道へ進んで社会に出ていく。では細分化していこう。

 

1.生まれた

突然だが、シェイクスピアの戯曲『リヤ王』の中に「人はみな泣きながら生まれてくる」という有名な台詞がある。
 リヤ王はグロスター伯爵に向かってこう言う。
 「人は皆、泣きながらこの世にやってきたのだ。そうであろうが、人が初めてこの世の大気に触れる時、皆、必ず泣き喚く・・生まれ落ちるや、誰も大声を挙げて泣き叫ぶ、阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しゅうてな」

 

僕は同期と二人で同じ現場に配属されたが、配属一週間で同期は役員に「本社に帰りたい」と相談したんだそうな。

これは正直なことなのである。決して恥じることはない。何も知らない、右も左もわからない、上司や先輩がどんな人かもわからない状態で強くしつけされたら大抵はその理不尽さにわめくのである。「やってはいけないこと」を学び、ヘルプ信号の出し方を本能で学ぶ時期である。

しかし泣きわめくだけでは不便なので、他の人をお手本に二足歩行を覚え始める。そうすれば自分から意思表示ができるようになるからだ。今の時代わからなければググればいい、でもググり方もわからないから「尋ねる」ことと、「尋ね方(ググり方)」を学ぶ。自分が今ココと思ったらまずは殻に閉じこもるのではなく突撃してみよう。やってはいけないことより、「やらねばいけないこと」を考えられるようになる。

 

2.幼稚園児or保育園児

語学を喋れるようになっているので簡単なコミュニケーションができるようになっている時期(だよね?)。しかしまだ知識が浅いので難しい単語や語学を並べられると混乱してしまう。

でもまあ子供って純粋だからね。わからないことがあれば「ナニコレ!?」「教えて教えて!」とすぐに疑問詞を投げれる。

大人になると「こんなこと聞いてもいいのかな」と考えてしまうのだが、相手上司や先輩から見れば、年はどうあれ面倒を見なければいけない存在なのである。

自分がイマココと思ったら、疑問詞を投げかけてみるといい。殻に引きこもって地蔵プレイして、殻を開ければ何もないということがないように、「ちゃんと身が詰まっているからですよ、少し持ってみてください、もっと大きくおいしくなるので育ててください」とアプローチすることで相手も心を開くんじゃないかなと思う。

相手が心を開けば、「せんせーおむかえまだー?」と尋ねれば、幼稚園児だと「そろそろお迎えの時間ですよ」となるし、保育園児なら「マッマがお迎えに来ましたよ」と話しかけてくれるようになる。要するに、相手にされるようになる。

 

3.義務教育

真夏の夜の淫夢~第四章~迫真レイプ!野獣と化した先輩

じゃなくて。

この時期は実は目の前の仕事よりも人間関係に疲れる時期なのである。

小学校入学したては「もう幼稚園児じゃないんだから」

中学年になれば「もうお兄さんお姉さんなんだから」

高学年になれば「もう中学生になるんだから」

中学生になれば「もう小学生じゃないんだから」

3年生にもなれば「もうそれぞれの道に行くんでしょ?自立しなさい!」

と、立場は勝手に上がるのに、ハードルがどんどん上がる非常に面倒くさい時期である。イマココなら以下のようにしてみよう。

少しハードルが高いだけなら少しがんばってみよう。だんだんそのハードルにつれて成長する。

だけど身の丈に合わないハードルは無理。無理なもんは無理。

もしも今自分に求められてるハードルがあまりにも高すぎると感じたら、思い切って告白しよう。「今はこういう理由でここまでで手一杯なんで勘弁してください。」

理由とは、「基準の所要時間」「初めてやることかどうか」「自分でどれくらいかかるか最大限で時間を見積もった結果(それ以上かかることもある)」その他いろいろあるが、根拠を述べて勘弁してくれと。そうすれば、上司先輩と打開策を練ることができるいい機会になるはず。とにかくやれ!と言われようものなら、とりあえずやってみる。できたら、「どうにかできました」で一件落着だし、できなかったら、「だから無理って言ったやん」でどうにかなる。いずれにせよ自分の行動に理由をつけれれば得することが多いよってお話。社会人としての責任を押し付けるなら、上司や先輩には発言の責任を取ってもらう義務があると僕は考えてるし、僕が上の立場でもそうしてたし。責任を擦り付け合うのではなく、お互いに責任を持てばお互いに心強いと思う。

 

4.一人立ち

ここから先は自分が今までの上司先輩にならなければいけない。

導くのは疲れるし、何しでかすかわからないし、自分以外のことも考えて行動しなければいけない。そのバランスが重要である。

僕は上司でも先輩でも何でもないけど、一番重要なのは、ああしろこうしろと押さえつけるのではなく、考えさせて、やらせてみて、指摘する。何よりも大事なのは「優しくあること」だと思う。要するに怒るのではなく叱るということを覚えなきゃいけない。僕がバイトリーダーしてた時もそうだし、ゼミ活動でも同じように失敗して、コミュニケーションがとりずらい雰囲気を作ってしまったこともあって、結果あまり良いものではなくなってしまったという経験からこれは話せる。

人が尋ねやすい雰囲気と、この人に聞けばとりあえずはOKというカリスマを持ち合わせていればお互い楽しいと思う。めちゃめちゃ難しいけどね。

自分にもこういう時期あったなって思い出せれば優しくなれる。初心を忘れずにってことだね。

 

まとめ

最初にも述べたが、今回何を伝えたいかというと、今の自分の状況はどこにあって、自分は成長過程のどこにいるかを自覚すれば、できる人は、もっとやらなきゃと気負いすぎなくなるし、自分はできない、ダメなやつだと自分を責めてしまっている人も捻くれていない限りは、何をすれば良いのかを客観的にみて、少し前向きになる手助けができると思う。

と綴ったが、実際のところいうと僕も21年しか人生を生きていない半人前なので、あまりエラそうなことを言えないけど、ポジティブに物事を捉えられるようになれば息苦しさも少しはなくなるんじゃないかなと思う。ただでさえ息苦しい世の中なんだし、せめて堂々としていたいよね。